湯長谷の日記

佐々木蔵之介さんを推しています。蔵之介さんがかわいいとだけ書いてあるブログです。

麒麟がくる 最終回 本能寺の変 感想その3

愛宕山での夜以降のシーンも全てよいです…。ありがとう…好き…。終わらないで…。
3人の家臣たちに決意のほどを伝えるシーン、よいです。「京へ行く」と告げた時の察し感。左馬之助の目力〜!綺麗だよね。ほんとよいご家来衆たち!


こっそり入ってきた菊丸と語らうシーン、よいです。そもそもこれまで十兵衛様と家康殿の信頼関係がけっこうがっちり描かれていて、あ〜、十兵衛の想いを受け継いで太平の世を作ったのは家康ということで、うちの推しは時代の徒花的な位置付けだなと思わされていたわけですが、最後のこの伝言もそんな2人の関係があふれておりました。


私は「歴史」との付き合い方はすごくあっさりしていて、教科書の太字で書かれていることの流れくらいしか知らないし、いわゆる俗説みたいなのとか、なんとか伝説みたいなものに特別なロマンとかほとんど感じたことがないのですが、今回の光秀生存ルートのベースになっているのではと人口に膾炙している「光秀=天海」を初めて知ってその伝説の存在に圧倒的感謝なので、そうかそうか、この最終回のエンディングのためにも十兵衛様と家康殿の絆をしっかり描いたのかあ〜と、最終回を何杯もおかわりするにつれて伏線回収されてる気分になって、2人の来し方に目頭が熱くなります。ていうかね〜、ほんとに、光秀生存説ありがとう!


本能寺の変を受けて家康が三河に帰る道中は、一般的には光秀への恐怖&命からがらみたいなイメージらしいというのが後からいろいろ読みかじったところなのですが、麒麟的には、明智殿の想いを受けたポジティブな逃避行でした!そのあたり、もともとの歴史好きさん達にはどう受け止められているのでしょうか。私としては司馬史観ならぬ麒麟史観こそが正史であり史実であり聖典になってしまったので、家康殿もめちゃくちゃイケメン顔で三河に帰ったと信じています。


あと最終回と言えば、うちの推しのギラギラの勇姿ね!見た?!?!?!やばかったでしょ?日本中のお茶の間の「やべぇ…」「こっわ…」っていうため息が聞こえてくるようです!「おもしろい」って言った時の頬の微かな緩み方、見た???


麒麟キャストのラストメッセージの中、蔵之介さんのコメントの冒頭がこれです。

www.nhk.or.jp

 

撮影に入る前に監督から、「この作品での秀吉は悪役です」と言われました。

 


もう悪役ですって言っちゃってOKなのね!蔵之介さんが悪い系の役をしている時の目、ほんと体温がなくていいよね!どこかで目にした、劇団の時(もしくは演劇サークル時代?)に先輩から「佐々木は悪役で」って言われたっていう話、先見の明がおありでって思っちゃう。目が大きいからなのかな、目を見開いて凝視されると怖いんだよ…。優しい役のときはあんなに穏やかな感じなのにね。同時期オンエアの空吉センセとのギャップ!


ていうか、このコメントの写真、秀吉と全然違う顔をしている!武将のかっこうしてるけど、お顔はバラエティとかで見かけるちょっとはにかむような感じの美人顔だから!

 

そして、改めまして、視聴者のみなさまの応援は、ドラマの大きな力強い推進力でした。

 


別に何ができるわけでも全くなかったけれど、応援してたよ!!!麒麟の撮影も中止になったあの時期は、誰もがこの先どうなるんだろうと思いながら、自分の大事なものがこの先もずっと続いていってくれることを願ってたねぇ…。あの時期のころの思い出をぽろっとラジオで喋ってくれた蔵之介さんにとってもこの作品がすごく大事だったことを思うと、さらに感慨深いというか、『麒麟がくる』という作品が存在してくれて、最終回まで一緒に走れて、本当によかったと思います!お疲れ様でした!!


ちなみにな話ですが、うちの子ら、結局最後まで、羽柴秀吉の蔵之介さんの顔認証を完全にマスターしてたわけじゃないみたいなのよ。土スタであんなコメント読んでいただいておきながらこんなこと言ったら責任とって自害せねばならぬのではって思うのですが…。うちの子らの蔵之介さんの基本イメージはハンチョウなので、しゅっとして優しそうなイケメンていう認識らしくて、十兵衛様の顔が大きく映ると「これハンチョウでしょ?」って聞いてきます。やだもう。ひどくてごめんね…。そんなトンチンカンなうちの子らだけど、さすがママによる英才教育の甲斐あって、多少は脳細胞のどこかにひっかかるみたいで、今回もキレッキレの羽柴殿のシーンを見ながら「あれ…?これ誰…?えっ…?」って不思議がっていました。よかった、ちょっとはわかるのだな!


振り返って書いて、振り返って書いて、まだ本能寺に行きつかない!