湯長谷の日記

佐々木蔵之介さんを推しています。蔵之介さんがかわいいとだけ書いてあるブログです。

舞台『君子無朋』の感想(※ネタバレ注意)

「学生演劇の公演…?」

観劇経験値が低く、東京芸術劇場シアターウエストに入ったことのない私が抱いた、最初の感想です。ちっちゃ!!箱、ちっちゃい!!!!!え?大学にあった、サークルで使えるホールとか、こんな感じだったよ??ていうか、舞台近くない?というようりもむしろ、低い、舞台が低い。そこじゃん、舞台そこじゃん。目の高さにあるんだけど?私の好きな、大好きな、本当に大好きで、その人のことを思えば元気が出て、その元気のおかげで毎日のままならない生活もなんとかサバイブできる、そんなにも私の心の真ん中にいる、大好きな大好きな俳優さんが、今から、そこで、お芝居をする??????????その時、彼と私の距離、何メートル????????あまりの衝撃に、開演まで頭がバグり続けていました。


いろんな方がツイートされていた初日の感想の中で「すごく寒かった」という話があったことを電車の中で思い出して、池袋についてからストールを買おうと思ったのだけど、全然見つからなくて「えー、これ、今日以外使うことあるかな」みたいな微妙なサマーストールを2000円でゲットしたあと道に迷い、いったん変なところから地上に出てしまって、数日前から始まった東京の意地悪な夏の空の下、「明らかにすごく近いところにいるのに芸劇がない!!」みたいな、大の大人だけど今すぐにでも泣きわめいてやろうかみたいな絶体絶命な状態で、これから他人にかなり近い状態で着席するというシチュエーションでは絶対禁忌な「炎天下ダッシュ(即ち、会場に着いてから汗が吹き出す)」をかましながら、なんとか間に合い、開演前にちゃっかり物販もクリア、そして、いざ劇場に入ったら…上記のような頭の中の大混乱ですよ。いやでもほんと、首筋とかから汗つたってたと思う。隣に座られていた方、もしくは、後ろの席から私のそのきったない首を見ていてご不快になられた方、心からお詫び申し上げます。ちなみに、その日の空調の様子はといえば、私の準備運動が念入りだったわけじゃないと思いますが、寒すぎという感じはなかったです。ちょうどよかったと思います。


そんなあたふたとした劇場インではあったのですが、始まる前の張り詰めたような静かな瞬間までには気持ちも落ち着き、いざ、開演…!奥田達士さん、石原由宇さん、河内大和さんの3人がフード付の黒い衣装を着て出てきて世界が始まった時、なんとなくマクベスの3人の魔女を連想してしまいました。この世ならざるものが3人でてきてお話がはじまったらすぐにそんなふうに思ってしまうのは、もうたぶん一生治らない私の悪い癖です。


そして、オルクという雲南の若き地方官役の中村蒼さんが登場し、いよいよ、我らの推し、蔵之介さんの登場ですよ!(ちなみに、このオルクっていう役名は、宮崎市定先生の『雍正帝』で取り上げられているオルタイへのオマージュじゃないかと勝手に思ってる。本を読んでいて思ったこととしては、『君子無朋』どころか、オルタイ、めちゃくちゃに朋じゃん!ズッ朋じゃん!!ということです。)


直前に公表された舞台衣装&メイクの写真が私としては結構な衝撃で、「おお!今回はあえてイケオジ要素を封印してのチャレンジか!」と思ったのですが、これはねえ、ほんとにまさかまさかなのですが、舞台上の辮髪蔵之介さん、イケメンなんです!えっ…この人、辮髪でもイケメンなの…?ってびっくりしちゃった。目力がすごいの、キラッキラっていうか、ギラッギラなんだわ…。中村さんの目も若い光でキラついているんだけど、なんていうかね、すまない、やっぱりこの舞台の主役はうちとこの推しなんだわ、圧倒的存在感。


皇帝が自ら地方官とやり取りをするという政治のやり方、そして、そもそも雍正帝の帝位に正統性はあるのかというところにも疑念を抱き、クーデターを企てつつあるオルクに語られる雍正帝の来し方…という感じでストーリーが進んでいくわけですが、雍正帝の基本衣装は吐血して血が飛び散ってるパジャマ…!ちなみに開演前に見えている最初の舞台装置、書簡と思しきデザインのパネルにも血が散ってます。もうねえ、睡眠負債は命の前借り!寝て!雍正帝、寝て!そういう、モンスターエナジーのがぶ飲みみたいなことやめて!


お話的には、どうしてこんなパワハラ皇帝が誕生したのか、というところを、時間軸を遡りつつ見ていく感じだったのですが、その中で、若い頃の家族への思いみたいのも出てきます。オルクが手を洗ってくれた時、母親のことがフラッシュバックしたりして、情念として家族の愛を希求しつつも、実の母親も結局はひいきの息子を帝位につかせたいと画策するエゴイスティックな存在であり、父親も老いて本当に国の未来のために大切なことが見えなくなっていて、兄弟達も自分の権力のことしか考えていない状態。だから、君子に親兄弟はいないと言い切り、そんな弱くてずるくて不確かな、ある意味とても人間的な存在と自分を断絶させます。


母親の愛への憧れが少し表出するみたいなくだり、ちょっと『麒麟がくる』のノブちゃん(←信長様)を思い出して、切なくなっちゃった。山査子を食べている時の顔とか、繊細な可愛さがあって、あああ…もう…食べたことなかったの?湯長谷のおばちゃんでよければ、買ったげようか??ってお財布の中身ぶちまけそうになった。まあ、それはさておき、こちらの雍正帝がかっこいいところは、ノブちゃんみたいにいつまでも他者の愛を求め続けるとか、承認欲求みたいなものを自分のモチベーションにしないっていうところ。彼の行動の基準は、自分が認められたい、自分が満たされたいという「利己」ではなく、どこまでも「利他」。「他」とは、国であり、民であるし、それらの未来がどうなるのか、どうしたらいいのかというところが絶対的な行動基準だったのだなあと感心するわけです。


パワハラ様と呼ぶべきスタイルではあるけれど、ある意味とても理想的なリーダーみたいに描かれているこの『君子無朋』の雍正帝帝王学が授けられたわけでもない、45歳まで不遇だったこの人がどうしてそんな「皇帝としての資質」を身につけられたのかについてどう解釈するのやらと思ったけれど、やはり、つまるところは、「読書」「学び」が彼の人間性を作ったということなんだろうなというところに私自身の理解としては着地しています。人というような不確かで限りがあるものに依拠するのではなく、書物という窓から見えてくる「あるべき姿」「やるべきこと」を目指すことが正しいことであり、そして、もう少し言うならば、それを通して自分がより大きく、より長らえる存在になれると考えていたのでしょうか。そう考えると、「書物」とそれが示すものこそが彼にとっての「朋」だったのかもとも思ったりもします。


それにちょっと繋がるといえば繋がるかなと思っているのですが、雍正帝の口から出る「美しい」っていう言葉が好きです。私が認識している限り、「美しい」と言われたものは、「漢字」と「オルク」。両方とも、未来へと続くもの。自分が死んだ後も残るもの。自分の身の儚さを知るからこそ、先につながっていくものに光を見るのだろうなあと思いました。


最後は、紫禁城という高みにおいて皇帝としての責務に邁進して一生を終えた雍正帝に、民が暮らす場所に足を運んでもらってみんなの顔を見てもらいたかった…みたいにオルクが思うシーンになるのだけど、「ほほーん、私はね、そういうスイートな感じの幕引きには厳しいんだよ?感動させようとしてるね?そうはいかんよ?」と斜に構えた3秒後に、辛抱たまらんようになって、ダバァーって涙が決壊してしまいました。自分、まじか。あー、もうしょうがない。舞台に渦巻く念みたいなものに押しきられた…。マスクの隙間を通過して落ちていくもんだから、マスクがびちゃびちゃになるのはイヤだ…と思ってわりと焦りました。


あと、どんな取り上げられ方するかなとちょっと気になっていたコスプレ趣味については、「雍正帝行楽図」を使う感じで、実際に蔵之介さんが着替えたりすることはなかったのですが、あのパネル、蔵之介さんの顔を当てて画像修正しているよね?ルイ14世のとチンギス・ハーンのはそう思ったんだけど、もう2枚のは自分の中で確証が持てなかった…。どうだったんだろう?


実はあともう1回見に行きます!2回目はどんな舞台になるかな!