湯長谷の日記

佐々木蔵之介さんを推しています。蔵之介さんがかわいいとだけ書いてあるブログです。

舞台『守銭奴』の感想

冬のライオン』から半年とちょっと、2022年もあっという間だったなあ…と思っていました。今年はなんだかずっとバタバタしていて、蔵之介さんが単発でドラマに出ていてもあまり追えない感じがあり、この『守銭奴』だって事前に出てるいろんなインタビューもじっくり読めてない状態、せっかくの現場だというのに「このお洋服、お芝居を見にいく時に着ようと思うの、うふふふふ」みたいな買い物もせず、せめてダイエットくらいするのがオタクとしての責任と思いつつもあまりがんばれず、この祝祭をいまいち盛り上げきれなかったなあと自分自身に対して謎の自己嫌悪を抱きながら秋も深まる11月某日、池袋に馳せ参じました。


でもね、劇場について、席に座って、「もうすぐ始まるなぁ」と意味もなく緊張して、そして、お芝居が始まったら、そんな余計な気持ちどこかに吹き飛びました。


忙しかった今年1年なんて忘れてしまおう、ここからが祝祭、隅から隅までお祭り。何かを大好きになって(例:プルカレーテ×佐々木蔵之介の『リチャード三世』)、それに対するニッチな愛情(例:プルカレーテ作品に出演する佐々木蔵之介、最高では??という信仰)をこじらせ温め続け、そして、念願かない、いつかいつかと願っていた曼荼羅をついに自分の目で見ることができるなんて、これを幸せなオタク人生と言わずして、なんと言うのかな。


守銭奴』の原作については、観劇前にさっくり読んでおきました。もし宇宙物理学級に難解な演出されちゃって、初見じゃついていけないわ…てことになったら、もったいなすぎるでしょう?だけど、そのあたりは割と杞憂で、ストーリーとしてはシンプルな喜劇だし、プル版もストーリーの流れは基本的に原作をそのまま追っているし、わかりやすかったと思います。


無予習派の楽しみ方もきっともちろん最高なのだと思うけど、私自身は活字で読んだ既知のストーリーが、幕が開くのと同時に立体化して色を持ってこちらに迫ってくる瞬間の「劇場に来てよかった!!」という高揚がたまらないのだろうなと思っています。今回は、アルパゴンの娘エリーズの登場の時が一番それが強くて、「あなたがエリーズなのね!!」って心の中で叫んだよね。ありがちな言葉を使ってしまうことを恥じながら書くけど、ああ、そうなのか、機能不全家庭で経済的DVを受けながらずっと生きてきた、毒親に強固に支配された長子なのか、という気持ち。エリーズは妹なんだけど、見た人にはわかってもらえるのではないかしら、あれはもう確実に、おかしな家庭の長子ポジション。
エリーズはよく笛を吹くのだけど、あの、調子っぱずれというか、音を鳴らすだけで頭の中をかき混ぜられるような不安感が広がる感じがよい、ああ私はついにプル組を見に来たんだなってなった。淡々と真面目に反復練習をしているのだけど、そもそも笛のピッチが狂っているから、その楽器でいくら努力してもしょうがない。彼女のおかれている環境が狂っていて、その中での秩序に順応しようといくら努力しても何もよくならないのと同じ。


順番が前後するけど、彼女が持つ楽器もお芝居が進んでいくうちに変化していくのだけど、マリアーヌがくれたピッチの正しいリコーダーは「ベストとは言い難いけど、何かしら変化が起こってるととらえてよいのではないか、少なくとも、以前の笛の時よりは少しましになるような変化が」と思わせてくれるし、最後のサックスに至っては「いろいろぶっ飛ばして、狂気!!」って感じがするし。


それはさておき、最初のほうでエリーズとクレアントが話す時の場面も、この兄妹もたいがい歪んでるなと思わされました。異常な家庭で励まし合って生きてきて、過度に依存しあってるのか、というか、ちょっと距離感がおかしいような表現をいいテンポ感で乗せてきてくれて、巨匠ったらそういう狂いをさらっと差し込むのねと思いました。


あと、半透明のシートを客席に対して垂直に使って部屋の仕切りにするのがよかったです。これ、座席によって見える角度が違うから、話しているキャストの姿が隠れてしまって見えないことも多いんです。それが家の中で秘密の話に聞き耳立てている感じを出していてよい、とてもよいのです。


エリーズ像も目から鱗だったけど、クレアントも、言うてもこいつ人生に対して甘えとるな、と思うところもあるし、ジャック親方を殴ってるヴァレールなんか明らかにやばいし、私は運命に翻弄される籠の中の小鳥ですみたいな顔しているマリアーヌだってあれはあれで結構欲深いし、アルパゴンだけ煮ても焼いても食えない嫌われ者というわけではなく、みんなどこかしら問題ありだったわ、好きです。


あと、すっごく個人的なフェティッシュなのですが、

  • 不穏な感じで舞台の外での死を示す(丸焼きにされる豚)
  • 緊張感高めの時に出てくる透明のビニール(箱を盗まれて彷徨うアルパゴンが持ってる)
  • サックス

あたりに必要以上に拡大解釈の過剰反応をいたしまして、プル様のファンサの御心に額づいてきました。幕が開いて戯曲が3D化したと思ったら、ちょいちょいリチャ舞台の幻覚が見えて、私の心が時空を越えて発狂してしまったので、なるほど、これが最近流行りの4Dなんだな〜と思いました、違います。プル様も『リチャード三世』で狂わされた信者達が阿片を求めてゾンビみたいに池袋に集うってわかっててそういうのを差し込んできてるんでしょ??そういうのどうかと思うよ?(もっとください)

歌舞伎っぽさもあったから「巨匠!ここはスカプリの舞台ではございません!」って思ったし(『スカーレット・プリンセス』のプロモーションで使われてた「スカプリ」っていう略称、じわじわ気に入ってます)、もしかして『真夏の夜の夢』堕ち勢向けのファンサもあったのかなと思ったりもしました、どうなんでしょう。


今回は(今回も)、建物や部屋を構成する仕掛けに、明かりや影が透けて向こう側の雰囲気がわかるくらいの半透明のシートが使われたり、警察の捜査のくだりでジャック親方が半透明のカーテンの中から様子をうかがっていたり、ちょいちょい半透明シートが登場していました。お互いのことを覗き見ることはできるのだけれど、お互いを混じり合うことのない、相入れないものにする素材。巨匠、あの無色のアイテム、なにかと好きよね…って思いました。


話を進めまして、建物の仕掛けの半透明のシートが落とされた後くらいから、もうね、やばいです。実は、室内の仕掛けがある場面の流れの中で、失礼ながら「今回の演出は思ったより薄味かな?」と思っていたのですが、ほんと、私って愚かですね、ジャンピング土下座しますね!「プレイハウスって奥行広いんだなあ…」なんてことをぼそっと思いながら、あの荒涼として明らかにやばい風景がとてもきれいだと思い、その中でうごめく明らかにやばいアルパゴン込みで「好きです!!」ってなりました。

観劇直後の自分のツイートを見返すと、あの建物の仕掛けが落とされる前と後で前半&後半みたいな理解だったみたいだけど、振り返ってよく考えるに、仕掛け落ち以降は時間的にはだいぶ短いですよね。決して折り返し地点ではないはず。だけど、自分の気持ちの中ではあの場面以降が精神的にボリュームが大きすぎて作品の大半を占めてしまったんだなという理解です。


これ、私が原作を読み間違えていたら本当に恥ずかしいんですが(言い訳する前にもう一度ちゃんと読めばいいのでは)、最終局面のあたり、原作ではアンセルム、ヴァレール、マリアーヌは本当にやんごとなき身分だったのだけど、プル版では例の場面でのクロードさんのあの美味しい登場によって、あの辺りの狂乱は全部フロジーヌの婆さんがでっち上げた芝居だったという解釈に変化したのですよね…?すごいですよね!!そうなると、アンセルムとフロジーヌのダブルキャストも、ただシンプルにダブルキャストっていうより、あの場面の演出家であるフロジーヌの呪詛の具現化なのではみたいに見えてくる。


あとは、ヴァレールとマリアーヌの腕輪も好きでした。原作みたいに、本当にこの兄妹が子供の頃船に乗っていて難破したことがあるような世界線が存在するとしたら、その腕輪と称される手錠ってやばくない??船の中でどういう状態だったの??もしかして、君らの子供時代もやばかった??みたいな想像が心の中で一瞬浮かび上がります。


最後の最後の大団円的シーン、アルパゴン以外の登場人物のグループが「私たちの愛が勝ったのよ」みたいな雰囲気出してくるけど、はて、そっちのグループが本当に疑うことなく幸せな勝者なのかな、という気持ちはうっすらと残されます。古典の喜劇を楽しむのだから、ここで「恋を成就させたリア充達、よかったね!守銭奴のおっさん、みっともないねえ、あはは!」と手を打って笑って帰宅すればいいのかもしれませんが、恋愛とか結婚こそが疑うことのない幸せの規範であるみたいな物語は2022年の時点ではもはや絶滅が危惧されている状態なので、この時代に古典を再解釈した際に、そうやってモヤつくのもあながち悪いことではないと思います。


アルパゴンが孤独だとか醜いとか不幸だとか、一律に決定できるものでもない、少なくとも、誰の目も気にせず、あの大切な箱が自分の腕の中に戻ってきたことに恍惚としている彼の喜びや安堵を見たら、彼は言うほど不幸ではないよな…と思ってしまいますし、そんな疑念に説得力を与えてくれるのが、うちとこの推しのパワーですわ!


アルパゴンの喜びをインスタやFacebookに載せてもいいねされることなく、スルーされるだろうなというのは間違いないのですが。


ものすごく個人的な想像ですが、インスタ映えしそうな幸せを手に入れたあの2組のカップル、結婚数年後には、ヴァレールのほうは奥さん殴ってると思うし、クレアントのほうは若い踊り子かなんかに熱を上げて真実の愛がどうのこうの言って駆け落ちのための借金こさえてそう。幸せはいつもその形を変化させていくし、どの幸せが正しいかなんて誰にもジャッジできない。


あとは、プル組を楽しんでいる手塚とおるさんがすごくよかったです!以前目にした還暦記念の幻のツイートの中で書かれていた、手塚さんのプル様に対する愛の吐露にすごく感銘を受けたものです。最後には道化になった手塚さんの、くねくねとしている様子が愛らしくて「それ、一番近いところでプル様の舞台を道化として観察できる幸せにニヤついてるんじゃないの?」なんて勝手に妄想してしまいました。