湯長谷の日記

佐々木蔵之介さんを推しています。蔵之介さんがかわいいとだけ書いてあるブログです。

FM世田谷「劇ナビ!」6月3日吉田鋼太郎さん その3

昨日のメモから引き続き、FM世田谷の『劇ナビ!』吉田鋼太郎さん回の記録。
今日のメモのテーマは、シェイクスピアの身体性について、という感じでしょうか。

吉田:最近よく俺、吉田鋼太郎に対する批判って聞くんだけど、なんであいつはあんなでかい声でしゃべるんだって。なんで2時間の芝居の最初から最後までどなってるんだって。昔はあまり言われなかった。要するにもう「合ってない」んだよね、この年と姿と。

植本:ううーん、なるほど。

吉田:そこにお客さんが違和感を感じるんだろうね。

植本:ベテランさんはそんなにがんばんなくていいよっていう。

吉田:それもあるんだろうし。日本ってさ、こう枯れることだったり、好きじゃない?わびだったり、さびだったり。

 

あと、この話。

例えばイギリスに本家本元にシェイクスピアを見に行くじゃない?例えば70すぎていたとしても、ものすごい声でしゃべる。そういう人が多々いるわけよ。そうすると、それだけでも、俺、すげえなって思うの。もう体のつくりからして違うのか、と。日本人にはあれは体の構造上無理なのかと思うくらいの違いがあるわけじゃない。どうしてもそっちにあこがれちゃうんだよね、俺は。

私は、この吉田さんのトークを聞いたあと、先日のNTLiveのトムヒのコリオレイナスを見たので、すごくこの感覚をひしひしと実感させられました。なんだかねえ、もうやっぱり、シェイクスピアは彼らのものなんじゃないかなって思っちゃう。もちろん蔵之介リチャードを愛してやまないわけだけど!!!

あとは、蜷川さんとの思い出をいいころ悪いこと(?)、こんな話を公の場でやっちゃって大丈夫かなという一抹の不安を感じさせつつ語ってくれました。ずいぶん濃いトークだった…。蜷川さんの、クリエイターとしての我の強さを感じさせるエピソード、物を作る人間は老成したりしないんだな、というか、永遠に俺が俺がなんだろうなという話も聞けました。

最後のこの語りも大好き…!

例えば、ハムレットならハムレット、いろんな作品とかではなくて、ハムレットならハムレット、これから20年間やり続けたっていいわけよ。やるたびに違うわけだから。自分の芝居の質だったり、レベルだったり、そういうことも変わっていくだろうし、できるようになっていく、声が出なくなっていく、じゃあどういうふうに対処していくのか、あるいは新しい思いつきってなんだろうか、とか、いろんなことが1本の芝居で10年できるじゃない。

そして、

植本:自分でまだハムレットをやりたいなとか。

吉田:それ、思うのよ。だって、あんな面白い芝居だよ。

 吉田鋼太郎さん、推しちゃうよ…!