FM世田谷「劇ナビ!」5月26日谷賢一さん その2
FM世田谷の「劇ナビ!」という番組で、植本純米さんと谷賢一さんがお話していた時のメモです。
前回メモした『リチャード三世』の話の続きが、こんな感じ…
・プルカレーテさんの東京芸術劇場での「桜姫」の舞台についての話題
・これまでの2人の飲み会の記憶
・「鶴屋南北戯曲賞」「岸田國士戯曲賞」のダブル受賞と福島三部作についての話
・谷さんのツイッター芸について
そのあと、谷さんの来し方みたいな話題になります。
植本:高校演劇出身で。大学で、明治なんだけど。
谷:明治の演劇学専攻ですね。
植本:途中から、留学して。
谷:そうです、イギリスのUniversity of Kent at Canterburyというところに、3年時の時に編入させてもらったっていうことで、留学してます。
植本:あれは本当なの、演劇をやろうと思ったきっかけっていうのが、学校の先生になりたいっていうのは。
谷:これ、本当なんですよ。
植本:どういうこと?
谷:なんか中学の時、僕、バッキバキにぐれてて、学校とか全く行かないし、先生とけんかばっかりしてるっていう日常を送ってたんですよ。
植本:でもあれなんでしょ、学力はトップなんでしょ。
谷:そうそう(笑)テストやらせると学年1番みたいなので、先生も叱りづらいっていう、たちが悪いキャラクターだったんですけど、学校いかねえもんだから、図書館にいって、当時の不良ってこういう発想の奴多かったと思うんですけど、だったら俺が先生になってやんよみたいな。で、教育関係の本をかたっぱしから読んでいったことがあったんですよ。読書も好きだったし。その中に1行、イギリスで学校の先生を目指す人は大学のコースで必ず演劇の授業を取るみたいなことを書いているのがあって、すごく理にかなっているなと思ったんですね。やっぱり、学校の先生って人前でしゃべるし、何かを表現したりするし、当然見られる仕事だし、ああ、だから、演劇となんか、演劇のこと当時は全然詳しくなかったけど、すごく近い感じがするなあと。僕も人前でしゃべったりすること、すごく苦手だなあと当時思っていたので、ああ、じゃあ、高校入って演劇やったら先生になるのに役に立つんじゃないかって思って演劇部に入ったっていう。
植本:でも、珍しいね、そういう人。
谷:たぶん日本で僕ぐらいしかいないと思いますよ。
なんかいい話やね。こんな話聞くと、うちの子もぐれてもかまわないかなって思うよね!安心するわ。いやいや、どう安心なのか。うちの子は、ぐれるっていうか、悪くなる方面っていうより、好きなことに夢中になって学校の勉強ほったらかしそうなタイプ。いずれにせよ、子供は暖かく見守ろう。
植本:きっかけはそうだったとしても、そこからどんどん演劇に来たんだもんね。
谷:そうですね、めちゃくちゃ面白かったですね、高校の時に見た演劇というか。
植本:サークルでね、うちの劇団、花組芝居にも騒動舎出身の人いるんだけど、大井君っていう人がいるんだけど、そこ出身なんだよね?
谷:はい、そうです。
植本:それがあってケントにいって、帰ってきていきなりマクベスの演出なの?
谷:そうです。
植本:それがあれなんでしょ、けっこうな動員力というか。
谷:何人くらい入ったのかな、確か1800人くらい動員したと思うんですけど。ホールの大きさが1000人くらいはいるでっかいホールがあって。
植本:大学のイベントなんでしょ?
谷:そうです。大学が学部をまたいで文化プログラムみたいのを年間を通して単位として教えるっていうのがあって。その授業内容の中にシェイクスピアの専門家を招いて講義があったり実際にシェイクスピアをやったりていうのがあって。予算も確か500万くらいあるんですよ。それで衣装から道具から全部発注して作ることができて、1000人規模のホールで上演するっていう明治大学文化プロジェクトの演出をやらないかって言われて。
この辺の話、まさか聞けるとは思わなかった…。谷さんは蔵之介さんの『マクベス』でも演出補をされていたのだけど、その『マクベス』のパンフレットの中で谷さんと松岡和子先生が対談されているんです。その会話の冒頭に、この明大時代のマクベスのことが話されていたんです。ちなみに松岡先生はその明大の文化プロジェクトで講義を持たれていたらしい。
続きます…。