過去の舞台
舞台芸術って残酷なまでに儚い。
どれだけ足掻いても、どれだけ泣こうとも、もうこの目に取り込むことのできない光があったなんて。
当たり前のことですが、書きます。ディスク化されていない過去の舞台は見られないんですよ。見られないんですよ!もう1回、書きますね。見られないんですよ!!
蔵之介さんの来し方を振り返るに、「舞台」がすごく大事な意味をもつことがわかるのですが、魔法のカードを煌めかせれば(クレジットカードを使用すれば)この手につかむことのできる輝き(ディスクを購入することのできる舞台)もありますが、ディスク化もされておらず、NHKやWOWOWでも放送されないらしい、もう二度と見ることのできない舞台というのもあるのです。
蔵之介さんの過去の舞台の関連の記事を読んだりインタビュー動画を見たりするにつけ、取り返しのつかない悲しみに苛まれます。特に『リチャード三世』と『マクベス』を見ることができなかったことを認識するたびに、虚無に蝕まれそうになります。
『リチャード三世』は、NHKで何回か再放送されたことがあるようなのですが、1番最近の再放送が2020年1月。残念!私が沼落ちしたのは2020年2月だ!!なんなんだ、私!タイミングが悪すぎる!
今私の中でワンチャン狙っているのが、蔵之介さんの『リチャード三世』を演出したプルカレーテ氏の『スカーレット・プリンセス』が5月に来日するから、その流れでプルカレーテ特集とか組むことになって、スパン短いけど、佐々木リチャード再放送したりしないかな?というものです。
でも、焦らず、これから末長くオタクをやっていけば、『リチャード三世』は再放送の可能性がゼロではないな、ということを自分に言い聞かせて、虚無に喰い殺されないようになんとか自衛できるのですが、『マクベス』のことを考えるともうダメだわ。ネットをいろいろ見てみたけど、ディスク化はおろか、NHKかどこかで放送されたような形跡もない。だめだもう、藤原竜也版カイジになってまうやないか。
この悲しみはどうしたらいいんでしょうね。作り手側・観客側含め、その時その場にいた者達だけが知っているダイナミズムが舞台の果実なのかもしれないのですが、ついつい心がないものねだりしてしまいます。過去に執着せず、今とこれからを見て、その時その時の佐々木蔵之介の舞台を愛でていくのがあるべき姿なのだと思いますが、なかなか人間、正論ばかりでは割り切れなくてねえ。妄執が方向性を誤って、最近、私シェイクスピアの『マクベス』を読み進めています…。