湯長谷の日記

佐々木蔵之介さんを推しています。蔵之介さんがかわいいとだけ書いてあるブログです。

プルカレーテ×佐々木蔵之介『リチャード三世』の感想…

佐々木蔵之介さんという俳優のファンになって2ヶ月、もしかして3ヶ月くらい経ったかもしれません。過去の作品を遡っていろいろ見てきたのですが、だいたい映画、たまにドラマでした。今回、映像化されたものではあるのですが、初めて舞台の出演作を見たんです。

私、ついに佐々木蔵之介主演『リチャード三世』を見ました。

私は観劇経験値は低めのほうで、今までの人生、演劇を見るために劇場に足を運んだのは数回とか。あとは、WOWOWとかでテレビ観劇かなあ…というところ。そんな私、2017年あたりに何かの拍子に蔵之介さんのことが好きになって、そしてうっかりいそいそと劇場に行ったりしてなくてよかった。なぜなら、これ、直で見てたら、死んでたから。

仮に生きて劇場を出られたとしても、家に帰れないで、熱に浮かされたように歩き続け、上野駅から衝動的に電車に飛び乗って北へ北へと流される放浪の旅に出ちゃいそう。もしくは、ぎりぎり生きて帰宅できたとしても、高熱を出して1週間寝込んで、熱が下がったあとも虚無をたたえた眼差しで廃人生活、みたいなことになってたかもしれない。推しが出ている『リチャード三世』を見なかったことにより、幸せなことに、私は今日まで命をながらえることができたんじゃないかな。だけど、逆に聞きたいけど、蔵之介リチャードを見ない人生を、健やかに平らかに生きながらえることって何か意味あるのかな???

やばくない?この作品、やばくない???こんなすさまじい作品がこの世に存在していいの??何がやばいって、何がいいって、全て、全てがいい。全部いい。全部、いい。
全体を通してこんな感じだった…みたいな、まとまった感想をかけなくて、どんなところがめちゃくちゃよかったかみたいな記憶を五月雨式に書き殴っていくくらいしかできないけれど、今、覚えていることを書こうと思います。

強く思い出すのは、やっぱり、ロンドン市長達がリチャードに王になるよう頼みに来るところと、それに続く王座とのシーンなわけだけど、その時のビジュアルが極まってる。引き締まった長身の体に(リチャード三世なのに!)スキニーな黒パンツ、そして、あのメイクにあの表情。かっこいいとしか言葉が出ない…。ボードレールを読んでいなくて恐縮ですが、もしこの世に「悪の華」というものがあるとすれば、まさに彼、という出で立ち。

即位のシーンでは、王座にビニールシートが巻き付けられて、なんかもう、こんなことあんのか、まじかよ、すごいな、と思った。そこまでの流れで「ビニールシート=死」と印象づけておきながら、リチャードが自らビニールシートの中に入っていくことで、今、私の目の前で彼は逃れようのない破滅に向かって踏み出したのね…みたいな感慨が噴き上がってくるわけですわ…。ここから先はもう「ビニールシート=リチャードの王衣=死」ということになったし、加えて思うに、いろんな人がいろんな殺され方をする中でバッキンガムがビニールシートで殺されたことの特別さが際立つ、というか、バッキンガムへのリチャードの気持ちがしんどい…ああー、もうしんどい…。

ちなみにだけど、大きなビニール袋の類は現役子育て中の私にとっては、ハザードレベル高いものとして脊髄反射で反応しちゃうから、蔵之介さんがビニールの中に入っている時、「何やってんの!」ってひっぺがして、お尻のひとつでも蹴り上げたい衝動にかられたのはこれはもう職業病です。ていうか、ビニールかぶってるシーンいろいろあったけど、苦しそうですごい心配になるよね?

最後のちょっと手前の、亡霊達がリチャードに語りかけるシーンはちょっとひやひやしましたかな…。役者に舞台で歌わせるってけっこう難易度高くない?ミュージカルみたいにキメキメにしてくれという意味では全然ないのだけど、歌や踊りはある程度の鍛錬と覚悟が必要だからね…。最初は見ていて「大事な場面だけど、この演出でまとめることができるのか…?成立するのか…?」ってドキドキしてたけど、自分としては、最終的にはいい感じに受容できた気がする。

そして、最後の場面は、もう、舞台に乗っているこの役者が王なのか、リチャードなのかどうかもよくわからなくなってきて、これまでの芝居の流れまでも全部削ぎ落としちゃうつもり?みたいな、ただ孤独という文脈しか持たない車椅子の男を目の当たりにして、私はもう塵芥か何かになって風の中に消えたわ。ていうか、馬を!って言われて車椅子でてきた時、すでにもうやばかった。そのあまりのすごさに卒倒するかと思ったよ…天才か…。

作品の最初と最後に「代書人」が出てくる作りになっているけど、私は個人的にこの代書人はシェイクスピアにビジュアルを寄せてきてるのかな〜と思っていて、「劇作家=登場人物達を作り出した人間=創造主」みたいな意味合いで、最後には神がリチャードに引導を渡し、この物語を、この茶番を終わらせたっていうイメージで理解している。
そうそう、この作品、全体的にわざとらしいまでに「茶番」感が醸し出されているのがいいというか、「人との会話」「人に聞かせるためのセリフ」みたいな、上っ面の発話の時、マイクをうまく使ったり、白々しいセリフ回しにしてみたり、というのが面白い。劇中劇というのとはちょっと違うかもしれないけど、茶番のレイヤーが絶妙に可笑しく浮き上がってくるのがうまいと思うし、リチャードだけじゃない、こいつら全員道化だな!って思いますわ。

あとは単発で、マーガレットが本当に本当に美人すぎてやばかった。とにかく綺麗。気の触れた呪いの蝶のように舞台で舞っていたよ…。リチャードの次に目が離せないキャラクターだった…。

それと、もう一つ、単発で印象に残っているのが、作品のだいぶ前半の方だけど、クラレンス殺害の際、舞台上にいるリチャードが天を指差していたところでなぜかレオナルド・ダ・ヴィンチの『洗礼者ヨハネ』を思い出した…。これは特に表象分析して何か難しいことを言おうみたいなことでは一切なくて、ほんとシンプルに「連想した」ってだけの話です。たぶん、目が大きいのと、何を考えているかうかがいしれないミステリアスな表情っていうところで思い出したんだろうな、というところです。まあとにかく、他にも最高の絵の連続であったことは確かだわ。

とにかく、見終わった今は衝撃が大きすぎる…。舞台の作りが最高すぎてしんどいとか、自分が本で読んだ戯曲が舞台の上でこんな風に立ち上がるのかみたいな驚きとか、とにかく、私の推しの圧倒的な力量とか…感動がすごすぎて、どうしよう、私、この先しばらく、他の作品見られないかも…。