湯長谷の日記

佐々木蔵之介さんを推しています。蔵之介さんがかわいいとだけ書いてあるブログです。

純粋に日記。ピアノを弾きました。

今日は純然たる日記、推しのことはちょっとだけ。

先日、何億年ぶりに人様に聞かせるためのピアノを練習したんです!
ピアノは子供のころに習い事で習っていて、その後もやれ部活だやれ合唱祭だとかで、人前でひく機会はいくつかあったのですが、大人になってからそんな舞台に立つようなチャンスはとんとなかったですからね。久しぶりにやってみて気づいたのは、自分の楽しみのためにちょいちょいさわるのと、人様に聞かせるために準備するのとでは雲泥の差があるということです。

そこで私は、恐れ多くも、蔵之介マクベス追体験したんです…なんて言ったら石を投げられてしまうけど、何がどう追体験だったかと言うと「なんでこんなこと引き受けたんだ!」と思ったという、ただそれだけのことなのですが。だけど、そんな焦燥感というか後悔にさいなまれながらひたすら手を動かして練習する切迫感、いやじゃなかった!人様に聞かせるとか思わないと、なかなか真剣に練習しないからね。いつもならちょっと気になる曲の楽譜を買ったとしても、少しさわりをちゃらちゃらなぞってなんとなく満足して終わってしまうので…。楽譜代もったいない…。

私レベルの素人が数時間でなんとかそれなりの形にしようとすると、もう、なりふり構ってられないんです。和音もめっちゃくちゃ削るし、やたらと黒鍵の多い調の曲なので、お恥ずかしながら、黒鍵をひくところに楽譜に印をつけまくるし…。「みっともなくても、とにかく、やるしか、ない!」という気持ち、いやじゃなかった!

そう、とにかく黒鍵を打つ打たないがややこしくて、それを外さないことを1番の目標にして練習していたのだけど(レベル低くてすみません)、ひきながらどんどん迫りくる音符たちが果たしてBlack or White、君らはマイケル・ジャクソンの歌か?みたいな感じだったのですが、そんな時は1小節分くらい視野を広く持って「あー、こう流れるから多分次はシャープ」とか、そんな立体構造的なシックスセンスで音符を認識してました…。ここでもちょっとした蔵之介マクベス体験?!?!?!ほら、例の「これの次の次のセリフがこうなるから、次のセリフはこう」みたいな?!?!?!違うね…ごめんね…。

あと、だんだん指が流れるようになってくると、油断するというか、自分がひいたフレーズを「エモいな…」なんて楽しむようになってきちゃって、すると、あっという間にひきまちがえるんだな~!笑っちゃうくらい、コロコロ間違えるんです。演奏しているフレーズにコブシをきかせる(歌以外にコブシって使わないよね…)のはもう手癖にまかせて、自分の気持ちはそちらにもっていかない、ということの大切さを思い出しました。

いつもにもましてよくわからない日記でしたが、久しぶりの体験、とても熱かったっていうことです。高校生くらいまでは、習い事だ、部活だ、でお遊び程度の舞台に立つ経験があったけど、お遊びでも大事だね、大人になっても自分の中には何か火種みたいなものが残るんだわ。いいものです。