WOWOWの『マクベス』放映にあわせたインタビュー
もうね、最初聞いたとき、心底、心の底から生きててよかったって思った。ファンになるのが遅かった、もう見ることはできないんだろうな、と98%くらいは諦めていた蔵之介マクベス。それを見ることができるとは。
終わってしまった舞台に対していつまでもネチネチ憧れるオタクの心情を吐露した記事はこちら。気持ち悪い自分のこと、嫌いじゃないぞ!
酸いも甘いもある人生、何もせずにぼーっとしてたら急に大きな幸せが降ってきたという僥倖にあずかってもいいよね、たまには。ありがとうございます、関係者各位さま、そして、蔵之介さん!
放映にあわせて出てきたインタビュー、めちゃくちゃ内容濃いですよね!!
こんなの読ませていただいてよろしいのでしょうか?ていうくらい。
しかもなんていうか、本当に作品のことを語ってくれているっていう感じがあるのがすごく嬉しい。うまく表現できないんですが、この世に数多あるインタビューは、いろんな大人の思惑で「だいたいこんな感じでしゃべって、こんな感じでまとめて」みたいな全体の構造がきれいに決まってる感じがするものが多いじゃないですか。あと、話したことも、媒体に載る前にきれいに整えられているんだろうな〜って感じることも多いし。いや、もちろんね、これもプロモーション用のインタビューですし、質問内容みたいのは大まかに決まってると思うんです。でもね、なんていうの?まあ、とにかく良いんだよ、このインタビュー!!しかも、話し言葉にもあまり手入れがされてない感じがあるというか、けっこうラフだよね。語り口がすごく蔵之介さん風でかわいくてしょうがない。それがとてもいい。とにかく、私は私があこがれてやまなかった蔵之介マクベスについて、蔵之介さんの口からこんなにもたくさんの言葉を聞かせてもらったことが、ほんとにほんとに嬉しくてしょうがないです。
スコットランドの風景
戯曲で読んでるだけではなかなか情景っていうのは具体的に浮かんでこないんですが、現地を旅したことによって、グラームズ城、マクダフの城、魔女がいたと言われている丘、そして、ダンシネインの丘を肌で体感出来きました。だからその後、台詞を覚えたり演じたりする時に、その情景が浮かんでくるというのはとても力になったし、もっと大きいのは、シェイクスピアの台詞っていうのが、大地に向かって、空に向かって、宇宙に向かって叫んでいるように、もう、自然がスゴイんですね(笑)。
『動く森』、拝読しております!聖典です。植生が違うっていうか、なんていうか、迫力が違うんだろうな。行ってみたい…!
理想を言えば蔵之介さんと行きたいのはもちろんですが(何を言ってるんだ)、自分1人でもスコットランド旅行やりたいな。スコットランドの空気の中に自分の体を置いてみたい。
セリフについて
半年くらい前から、なんとなくなじませようと思ってたんです。でもなじませようと思っても中々なじまないんです、これが。
そんな前からやるんですね!ていうか、ほんとに本1冊分だからね!普通に無理だよね!
アンドリューについて
アンドリューはすごく優しくて、僕に対しては最初からそんなにガチガチにやらなくていい、セットも置かず、まずは平場でやりたいようにやろうって言って。なんとなくぬるーっと入っていこう、これが大変なのは分かっているからって。
またアンドリューとお仕事できたらいいね…!別のバラエティ番組で見たアンドリューがすごく素敵な人に思えたので、また蔵之介さんとお仕事してほしいなあ。個人的にはこの「なんとなくぬるーっと」っていうくだりをアンドリューが英語でどうしゃべったのかが気になる。
書き散らしてまとまってない、アンドリュー(と1人芝居マクベス)についての備忘録はこちら。
舞台上でのこと
同じシーンでの役の出入りがものすごく大変なんですよ。観客もよう分からんやろうなって(笑)。一人でやることか、これは。出捌け(舞台への出入り)多すぎやで、こんなん通常の登場人物が演じてても人が多過ぎで交通整理が大変やのにって、ね。
初見でちゃんとついていけるかなって少し不安になる私…。
そうそう、だから演技している最中に3つ先の台詞を忘れたことに気付くんですが、芝居を進行させながら、5つ先の台詞を頭の中で組み立ててるんですよ。だからあの時は本当に、視野はバーっとこれくらい見えてたんですよね。客席もその袖周りも、袖奥も見えてました。誰がどう動いているかみたいな。その感覚は面白かったですね。
なんかすっごいさらっと語ってるけど、これ大丈夫???明らかに常人の脳のキャパシティ超えたところで仕事してるじゃん。だけど心配になってしまう。こんな脳の使い方してたら寿命縮んじゃう!それとも「生きてるって感じがする」??
「彼」の役について
不思議なもので僕もいつもなら千秋楽終わってしばらくしたら台詞忘れるんですけど、これに関しては半年くらいはずっと喋れてましたね。彼はいまだに喋ってるかもしれません。
「彼はいまだに喋ってるかもしれません。」もはやこれは詩。
コロナ以降の演劇
僕は大学の演劇部から始まって今その仕事をやらせていただいているので、舞台に立った時に、大袈裟だけど生きていることを実感するというのはある。やっぱり舞台に立ってる時っていうのは何かある覚悟を感じるんですよね。昨日落語を聴きに行ったんですけど、聴く側、客席側の立場にいた時に、その時も生きてる感じがしたんですよ。言葉の振動であるとか、劇場にいる感覚であるとか、隣の人の呼吸であるとか、笑い声であるとか、なんかそういうものを感じつつ、それが自分の想像の中で絵となって、立体感をもって、あー楽しいと。心が豊かな感じになったんですね。生きてる感じがするなと思って。だから演劇で何ができるかは分からないんですけど、ちょっと日常の生活が豊かになるのかなって思うんですよね。
当然のことかもだけど、劇場が閉まった数ヶ月っていうのは、蔵之介さんにとって大変な時期だったんじゃないかなと勝手に思ってしまいます。動き出してよかった…!
人が同じ空間を共有することが罪深くなってしまった不思議な時代だけど、私も、今この空間の中にいるみんな、作る方も見る方も、心を動かしているんだなって感じられる劇場に少しずつでも足を運べるようになりたい。