湯長谷の日記

佐々木蔵之介さんを推しています。蔵之介さんがかわいいとだけ書いてあるブログです。

いつか愛の遺跡となるもの

2020年2月のある日、特に何をしていたというわけでなく、家事か何かに手を動かしていた時だったと思う。何の脈絡もなく思いついたことがあった。

私は子育て中の主婦(+若干の在宅仕事持ち)で、最近は世間でも主婦も大変なんだというコンセンサスがそれなりに形成されてきた感があるので救われるところもあるが、毎日、それほど心踊るわけでもない、膨大な量のタスクをさばくことに自分のすべてのリソースをつぎこみながら生活している。子供の世話や家事といった地味な作業に延々と気力体力時間を費やし続ける生活を送っていると、楽しいことを楽しむ力が少しずつ失われていくような感じがする。たまに何か楽しそうなことをする機会が訪れそうになっても、疲れているから、時間がないから、と、最初からあきらめてしまうことが多くなった。自分が選んだそんな生活が不満であったり不幸であったりということはない。しかし、例えるならばここ数年の自分の手のように、かさかさして潤いがなく、少し皺も目立つようになってきていたのが、最近の私の心だったように思う。

だけどそこに、まさに青天の霹靂のように、ある変化が起こったのです。

「推し」ができたんです。


佐々木蔵之介さんです。


ほんっとに自分でもわけがわからないのですが、何かのドラマや映画を見た後だったわけでもないのに、ある日突然、佐々木蔵之介さんが好きになってしまいました。

佐々木さんの作品をちゃんと見たのは、その時点で『間宮兄弟』と『20世紀少年』くらい。『間宮兄弟』は当時私も若かったので割りとささったかな、とは思うのですが、細かいストーリーはあまり思い出せず。『20世紀少年』も、最後に印象的な登場の仕方してたな…くらいの記憶です。あとから、wikipediaやらなんやらをよく読んだら、その他いろいろ見ていた作品にちょいちょい出ていたんだということには気づきました。ものすごく特別な存在というわけではなく、イケメン・イケオジカテゴリーの中の1人として、偏差値62くらいの好意で好ましく思っていた感じです。それが、何がどうしたのか、いつもと変りない生活を送っている最中に、まるで天啓のように、「あー、私、佐々木蔵之介、好きだわ」となってしまったのです。きっと長い長い潜伏期間だったのであろうし、いつの段階からその気持ちが心の中に潜んでいたのか自分でもまったく不明なのですが、気持ちの原因を探ることよりも、今、自分が抱いている気持ちのままに、夢中になって、没頭して、毎日を過ごしていきたいと思っています。

これまでも、推しのいる生活を送ってきたことは何回かありました。
古くはSorry, this page is Japanese only.なファンサイトに集い、BBSに書き込みをして、時にはキリ番ゲットなどの余興を楽しみました。
時代が下っては、Twitterで専用のアカウントを作り、同じ趣味をもつファンを芋づる式に探してはフォローし、推しの新作が出ると言えば盛り上がり、推しの来日が決定したと言えば140文字のうれし涙を流していたと思います。
熱に浮かされたような、「推しのいる生活」。
あの狂乱の日々は確かにあったはずなのに、それらはいつしか終わりを迎えるのが常でした。


推しのためのTwitter専用アカウントも、投稿することをやめて何年もたっています。ごくたまに覗きに行くこともあります。当時よくおしゃべりをした人たちを思い出しながら「ああ、この人はまだこの界隈を楽しんでいるんだな」と、そのエネルギーの持久力をうらやましく思ったりもします。


私は、そんな愛の遺跡を、このインターネットの中にいくつも残してきました。自分でパスワードを忘れてしまったものもたくさんあります。もう削除されてしまったものも多いでしょう。


今回の突然の熱も、いつか治癒する日も来るのだと思います。
だけど、恋がいつか終わるということが、今、この恋にうつつを抜かすことを妨げる理由にはならないと思うのです。いつかここに書き散らかした記録が、数多ある愛の遺跡の1つになる日まで、佐々木蔵之介さんのことを好きでいたいと思っています。